昨年から今年にかけてメンタルを立て続けに2回崩し休職した。
要因は仕事内容がガラッと変わったこと、上司との相性が悪かったこと、周りに相談できなかったこと…が思い当たる。
3〜4年のサイクルで部署が変わり、専門性よりもどちらかといえば何でも屋が求められる職場である。
だんだんと自分がその部署にいる年数が長くなり、業務がなんとなくわかるので周りに相談されることが増えて、余計に相談しにくくなっていたんだな、ということに今は気がついた。
休職中、初めは何もやる気がなく、人生で初めて「このまま生きてていいのか」と考えた。
元々この仕事は一生やってる気がしないと、2年目くらいからはぼんやりと考えていたが、それがよりネガティブな方向に影響した。
あんなに好きだったジャニーズのアイドルたちを見る気にもならなかった。
手元にあった舞台のチケットも手放すか悩んだ。
知り合いと顔を合わせたくないという気持ちが強く、初めは外に出ることが怖かった。
休職前から心療内科には通っていたので、それはちゃんと受診しなきゃいけない、となんとか通院だけはした。
寝てるだけの1日が、寝て、スマホ見て、YouTube見て、ラジオ聞いて、の1日になった。
少しずつできることが増えた。
家事ができるようになったのが大きかった。
何も考えずに目の前の家事に集中できるのが楽しかった。
「外に出ましょう」と医者に言われたので、適当に家の周りを歩くことにした。
買い物もわざわざ歩いて行くようにした。
散歩が楽しくなっていった。
だんだん自分の中が変わる感覚があって、コンサートや舞台もこれまで通り楽しみになってきた。
漠然と抱えていた人生への不安はどこかに消えて、なんか前向きになった。
生きるのにはお金がかかるので、そろそろお金を使うだけじゃなくて、稼がないと、と思うようになったのもあったが。
前向きになったからそう考えたのか。金がそろそろ欲しいと思ったから前向きになったのか。数ヶ月前のことだが全然思い出せない。
でも、4月になって「あ、自分、前向きになってきたな」という感覚を得たのは覚えている。
今回は知能テストみたいな心理テストもした。
考え方の癖もちゃんと考える機会を得た。
私はストレスが溜まると攻撃性が外に出やすいそうだ。
思い当たる節がある。その癖を聞いた時は居心地の悪い気持ちになったが、ちゃんと知って対処するのが「大人になる」ってことなんだろうな、と考えた。それから出来るだけその癖があることを頭の片隅に置いているが、感情的になるとどうしても飛び出してくるのでまだ修行が足りないなと思っている。
好きなアイドルが増えた。
ジャニーズの名前が無くなった。
だとしても好きなアイドルたちはなくならないけど、前よりも受け止める心が柔らかくなってしまったのかどうしても曲が聴けない時があったりして、サブスクで別なアーティストの曲や中高生の時に聞いていた曲を聴くことが増えた。
昔好きだったものは大抵今も好き。
私は滅多なことがなければ飽きたり嫌いになることってないんだなと思った。
飽きたとしてもしばらく経って思い出してまた出会って「好きだ」と再確認することが多い気がする。
休職から復帰の期間中にSixTONESが好きになった。そして、髙地優吾氏を転げ落ちるように好きになっていった。
彼を好きになった理由の一つに「ああいう身体のスタイルになりたい」がある。見た目のかっこよさや性格ももちろん好きだが、彼のもつ外見へ対する「憧れ」が大きかった。これは既に好きな他のアイドルにも多少はあるけれど、「あなたが担当を好きな理由は?」と聞かれた時にすぐ口にする理由としてはなかなか上がらないのだが、例外的に彼の場合は速攻で口にしていると思う。それくらいの感情の大きさである。
SixTONESの持つグループや作品の色は、どちらかといえばダーク系、ストリート系な感じで、男性にも好まれるような感じが多い。クールでかっこよくて、時に暴力的、とも感じられるようなもの。
そこから、ふと小学生の頃、「男の子」に憧れていたことを思い出した。
どちらかといえば昔からかっこいいものが好きだった、という記憶がよみがえってきた。
小学3年生ごろから典型的な女子と男子のそれぞれの社会がクラスにできる。おそらくカーストだったり、派閥ってものなんだろうけど。
わたしは女子特有のソレが肌に合わず、小3,4はほぼ男子たちと一緒に過ごした。
みんな対等で、男子を殴ったり蹴ったりもしたし、逆に殴られたら蹴られたりもした。
その男子たちは小5に進級する際のクラス替えでバラバラになり、わたしは家が近く腐れ縁のような友人と同じクラスになったので、その男子たちと遊ぶことはほぼ無くなり、自然消滅のようなかたちになった。
脱線するが、この時に性別関係なく対等に接した結果、つるんでいた男子たちのうち同じ中学に進学した一部から恋愛感情を抱かれていたらしい。男女問わず友情が成り立つと思っている大元はこの小学生の頃の体験だったのか、と膝を打ちつつ、昔から変わっていないことに笑ってしまった。もちろん、当時もその恋愛感情には全く気がついておらず、周りからやたら言われていたが「なんでそうなんの?」と私は顔を毎回しかめていた。側から見れば残念な女の子だったろう。大きなお世話だが。
さて話は小学生の頃に戻る。
小5,6の頃はショートヘアで、時に男の子みたいな髪型になっていた。それは単に髪を結ぶ面倒が減るからという理由からだった。
元々ピンクは好きじゃなかったので、服の色もそれ以外を着ることが多かった。レッドソックスのTシャツかっこいい!と買ってもらったことがある。スカートもなんか好きじゃなくて、その頃からパンツスタイルだった。
ある時お店で男子に間違われた。そりゃ見た目なら男の子みたいな格好をしていた。今でもその店員さんは悪く無いと思う。
ただ、当時の私はどこかショックを受けたようで、見た目で女ってわかって欲しいと心のどこかで思ったらしい。
中学になってからは基本的に長髪である。
気まぐれにバッサリ切る時もあるが、完全に気分だ。
中学2年生で嵐に、ジャニーズに出会った。
それまでの趣味は女の子らしいものとは言えないもので、ようやく世の中の女の子と肩を並べられた気がした。でも、これまでの私を知ってる人は、ゲームばっかりやってる私がジャニーズにハマったことを聞いたら100%驚くだろう。実際両親も驚いていた。
打ち明けることに時間はかかったけど、驚く人はいても否定する人はいなかった。これは周りに恵まれていたと思う。
多感な学生時代を過ごし、社会人になった今でも「ジャニーズ」、「アイドル」たちが好きだ。名前が変わっても、それは変わらない。
そして、「ジャニーズ」「ジャニヲタ」の文化に影響されたアイデンティティみたいな部分もあると思う。
いわゆる「男らしさ」「女らしさ」の部分である。
彼らは我々ファンを女性として見てくれる。だから「女の子」の格好をするファンが大多数だ。
元々そういうファッションには興味がなかった。でも、年齢を重ねるごとにそういう方向にも興味や憧れが自然とできた。
最初はそう着飾ることでわたしも「ジャニヲタ」に中身だけじゃなくて見た目もなった気がして楽しかった。
でも、どこかのタイミングでなんで自分の本当に好きな服装じゃない格好に着飾ってるんだろうな、と考えてしまった。
「ジャニヲタ」という言葉に酔っていたのかもしれない。
休職期間に思ったことがある。「何か変わるチャンスを得るなら今」だと。
徐々に回復してきたタイミングで、ピアスを開けた。元々興味もあったがタイミングがなかったのと、痛みと恐怖を乗り越えたら新しい自分に会えるのかも、と思ったから。
脱毛に通い始めた。お試しクーポンが手元にあったのもあるが、これも新しい自分になりたいと思ったから。
パーソナルカラーと骨格診断を受けた。これも興味があったから。
理論的に似合う服を知ることで、服に悩むことが減ったらいいと思った。理論に沿った方がより自分が魅力的になれるのでは?とも思った。
特に骨格診断を受けてまず思ったのは、元々自分に似合うな、良いなと思ったものがそのまま結果に出たということ。直感は外れなかった。
そして幸運だったのは、私はそういうファッションが好きだったこと。
そして、その服はどちらかといえばクールでかっこいい感じができる。
小中学生の頃と大きく変わったのは、社会が変化し続けていることもあり、ジェンダーレスが当たり前に通じることになったことだ。
おそらく私が昔していたようなボーイッシュな格好は今じゃジェンダーレスにも言い換えられるだろう。
それがだんだん当たり前になってきたので、洋服も男性物も女性物も問わず広く着用するようになってきた。
これまでジェンダーとかLGBTとか直接関係ないと思ってたけど、自分の趣味や嗜好といった大きなものに少なからず関係していたのだな、と今年ようやく自覚した。
そして、それを実践するようにした。
かっこいいものも、かわいいものも好き。
ストリートカルチャーなんてめちゃくちゃいけてる。「すばらしきこのせかい」が教えてくれた。
万博のミャクミャクかわいい。
ジャニーズありがとう。
アイドル最高。
サカナクションの音楽で生きている。
バケッチャ、マッギョ、ヒトモシ、ヌオー…目が点のキャラクターばかり好きになる。上げたらキリがない。
アランジアロンゾはいいぞ。
乗り物が好き。電車はテンション爆上げ。
ラジコのタイムフリーに出会えてよかった。
自分に素直になって、そんな自分を好きになって、なんて幸運なことか。
いつか息を止める日が必ず来る。
それならその日まで「自分には素直に」過ごした方がお得だよ、と今の私は思っている。
やれることに限りは必ずあるけれど、その範囲のでやりたいことをやるのだ。
人は多面的な生き物だから、色々な要素があって当たり前。好みに一貫性がなくてもいいじゃない。好きなものがたくさんあって時間が足りないくらいが、私には合っているのかもしれない。
そう考えるようになったら、なんだか少し気が楽になったのだった。
ようやく自分が「おとな」になったような気もした。