おやつにハニワは入りますか?season2

今はハニワよりも土偶にハマっている。

「星降る夜に出掛けよう」感想

 

はじめに

初めて大阪まで遠征しました。

まさかコンサートよりも先に舞台で遠征するとは思いませんでした。とほほ。

全ては髙地優吾さんのせいです。

 

そもそもSixTONESのFCには入っていたので、6月の南座決まった時のメールもちゃんと目にしています。

ジャニーズの3人が主演?

6月と10月?

南座と松竹座?

脚本演出が坂東玉三郎さん?

この時点で舞台好きとしてはウズウズしたのだが、いかんせん東北から関西は遠い。

関西在住の従兄弟がいるが、それだって年に一回来たらいい方である。

飛行機でも新幹線でも、絶妙に手間がかかる…。

 

だが、ここでアクシデント。

うっかり髙地優吾さんに魅了されてしまう。

と、なると、生で見たくなる。

幸いにも現場はあるが、10月の大阪松竹座

しかし、私の職場は10月から繁忙期。

なのでFC申込の段階では関係ないですねーと全く気にしなかった。

しかし!そこでまた面白い事が起きる。

公演期間が開くと何が起こるか?

ファンの感想がゴロゴロ転がっているのだ。

申し訳ないが王子のビジュアルは個人的に好みではなかったので資料として見たにすぎなかった。

舞台で上演される内容の方が面白すぎたのだ。

中では3本の短編が繰り広げられるが、たジョン・パトリック・シャンリィの戯曲集「お月さまへようこそ」と、世界中で愛される名作文学、サン=テグジュペリの「星の王子さま」を題材としている。

 

熱心なファンもいて、この内容を噛み砕いて紹介している予習ブログ記事もあったのでそれを読みました。

星降る夜に出掛けよう 予習メモ - ショータイム

 

「これ、舞台好きが好きなタイプの劇では?」

ぱっと見難しそうな話だが、実は普遍的な価値やテーマが隠れている。受け手が演目を見て少し考える事ができる劇だとピン!ときてしまった。

 

これは絶対見たい!!!

 

さて、改めてスケジュールを確認してみよう。

…なんとたまたまなにも予定がない土日空いているではないか。

 

えー、一般チケットは?

…これから発売じゃないか。

 

ええい、ままよ!!!!!!

 

なんてことがあって見てきました。観劇回は10/14昼、10/28昼(大千穐楽)。まさかの2回。

10/15追記部分は赤、10/28追記部分は紫に色分けしています。

 

さて、前置きが長くなりましたがここからが本題。「星降る夜に出掛けよう」感想です。

もちろんネタバレあります。

 

1つ目

星の王子さま

飛行士が髙木雄也、王子が髙地優吾。

飛行士の独白から始まるが、ここの一言目で度肝を抜かれた。

髙木さんってこんなに声良かったっけ!?

こんなに舞台映えする発声するんだ!?

今回の舞台で1番の発見は「髙木雄也の声と発声の良さ」かもしれない。

途中途中歌うシーンもあるんですが、そこでも響かせ方をわかっていて、いやこれもっとミュージカルに出てほしいな……と初めて演技見たのに夢中になっていました。

さて、一方の髙地さん。動きが映える。

王子衣装のマントをひるがえすところがすごく上手い。

そうそう。王子衣装、背中がご開帳しているんですが、それをすっかり忘れていまして。

後ろ向くシーンが一度あったので、衣装の詳細確認しようと双眼鏡で見たら素肌で「!?!?」ってなったり。

そもそも王子は地球人から見たら宇宙人だし、アレが服とは限らないのかも…?笑

目で見えるものだけがほんとうとは限りませんし。

いや、それならマントはなんなんだよ、とセルフツッコミ。

以下は個人的な意見ですが、飛行士がおとな、王子がこどもの比喩だとすると、あどけなさを出すことが必要な王子役としては髙地さんぴったりでした。

最後に「眠る、歌う」という対になるシーンがあるけれど、王子はモゾモゾ動きながら寝てて、飛行士は全く動かないというのがまた細かい演出で好きでした。

この2者は月と太陽でもあったんだろうな、と照明演出で考えつつ。

もしかするとイマジナリーフレンドなのかもしれない。

ふたりでひとつ。

とっつきにくいな、と思っていた星の王子さまのお話ですが、少しだけわかったような気がしました。

 

10/28追記

さて、10/28大千穐楽を迎えたので以下、その追記です。

2週間ぶりの王子さまはより「純真無垢」な「こども」になっていました。

歌い方は平坦で、ビブラートもなく、とにかくストレート。

衣装の背中空いてるのは、地球人とは違う感じを出した?というのは前回も考えたけれど、追加で「目に見えてないものは近くにも案外転がってる」って暗喩なんじゃないかと思ったのでした。なんせ、マントを外していてなおかつ観客全員がほぼ確実に気がつけるというタイミングが、唯一背中を向けるシーンだけなので。

「大切なものは目に見えない」にも通ずるところではある。灯台下暗し。

 

 

2つ目

ウォルターが髙木雄也。ジムが中山優馬

2人は大親友。

セリフが非常にアメリカっぽくてもっと大笑いしたかった。会場内が真面目でクスクスあんまり笑わないから戸惑ってしまいました。ごめん。

午前2時、というのは日本でいう丑三つ時ですね。

あの世とこの世というか、人ならざるものがあらわれる時間。

ここも、おとなとこどもの対比があるのだろうか?なんて。というか、3本通してそういうものが根底にある気がします。

そして最終的に親友を失ってしまうウォルターとジム。

こどもの時の関係性がそのままおとなでも続けられる、というのは奇跡に近いのかも?なんて思いながら。

あとはこの話は「信頼」というのも見え隠れしてるな?なんて思ったり。

 

優馬さんは最近はずっと舞台の人というイメージだったので不安感は全くなかったです。

もうバッチリ。

しかしまさかキーボード弾くとは知りませんでした。

そこはびっくりしました。

 

3つ目

痩せ細った男が中山優馬。ひどく悩む男が髙地優吾。互いに真剣に会話をしているうちに幽霊や妖怪が消えて、

“一緒に来て。二人で星降る夜に出掛けよう。”

というセリフに繋がり、満点の星空でフィナーレを迎える。

 

10/15追記

痩せ細る男が上辺だけのコミュニケーションの比喩として仮面(化粧?)と服を脱いだアンサンブルと共にダンボールに仮面と服を詰め込んでいくシーンは滑稽で個人的にはユニークで好きです。

現代のジェンダー論ではなかなかああいうのは難しくなっているのかもしれないけど、そういうのは抜きにして、戯曲が書かれた時代も汲み取って理解する必要がある、というのが今後のカルチャーを受け取る側の頭に一つ入れておかなければいけないことだと思う。

単にあそこで女性なのはなぜか?と言われれば男と女のコミュニケーションは極論を言えば本能に帰結するからであり、女性のメイクアップはある意味仮面であるから。

と、いいつつ、男女関係なく我々は他者とのコミュニケーションを取る際には何かしらの「仮面」をかぶり、少しずつ距離を測りながら対話をして、その「仮面」の下に書かれている「自己」をぶつけていく、のであるが。

痩せ細った男と女達のシーンはまさに「仮面」のシーンであり、痩せ細った男とひどく悩む男のシーンは「仮面から自己」のシーン、と理解することも可能だろう。個人的にはそちらの方が理解しやすかったな。

 

 

Sexy Zoneの曲名じゃないけど、「本音と建前」というワードがぱっと浮かんできました。

痩せ細った男のセリフに無知とか無関心というのが出てきたので、「思考停止」というのもあるかな?

思考を停止してしまい現状のままでいること、それはほんとうにいいことなのか?

思考停止から現状を打破していこう、それが「一緒に星降る夜に出掛けよう」に繋がるのだと思います。

 

なぜ「星降る夜」なのか

個人的に考えていたのは、星は常に空にあるけれど、夜にしか見えない、という点。

大切なものは目に見えない。

それは、近すぎて見えなかったり、見ようとしてなかったから見えてなかったり。

この3本目の悩む男のセリフで「星や惑星が」と明確に星と惑星が分けられている点に少し引っかかったのもあるのですが。

太陽系の場合、惑星は基本的には自分では燃えていません。太陽の光を浴びて光っているように見えます。

一方で太陽系の外の星々、オリオン座とかベテルギウスとか夏の大三角とか、あれです。

あれは「恒星」と言って、自分で燃えて光っている。

だから、遠くにいてもこちらから見える。

その星々が一斉に解するのが「星降る夜」。

自分で輝けるもの、人の光を浴びて輝くもの。

全て等しく輝く世界。

そんな世界があったら、また違う世界を見られるのかもしれない。

 

10/28追記

「真剣になったから」というセリフから、「真剣になる」と「あの星降る夜に出掛けられる」ので、髙木さんが合流したあの場は全ての歌の終着点、なのかもしれない。

3つの話が歌のシーンで必ず話が終わるが、その必要性は?という疑問。わざわざ歌を使うのであれば、そう考えた方が自然ではなかろうか。

なので境目がわかりにくくなっている「オネスティ」は2つ目の話の曲であろう、と推定しています。ちなみに「オネスティ」歌唱時の優馬さんの衣装とピアノ、実はあのパーティ会場の場面だったんじゃないか?と想像しました。あそこで歌を披露して、女の子にキャーキャー言われてたのに親友によって靴を台無しにされ、挙句、かけがえのない友とも別れてしまう。切ない……。

 

3つ目の話の曲は、唯一最初から3人全員で歌われて終わります。やはりここが全ての終着点です。唯一全ての話に登場する髙木さんですが、ポジティブな別れとネガティブな別れを経験しているという点で、この舞台全体の要素を併せ持つ存在になりつつある。だから「髙木雄也」が登場しなければ物語は終わらない、のではないだろうか?この辺りの話はメタ視点の話にもなってくるのですが、感想の1つとして残しておきます。

なぜ髙地さん演じる男が途中でキャスケットとジャケットを放り投げるか?ということも引っかかりまして。「取り憑かれた男」を印象付けるようなアイテムを取っ払うわけです。うわべを取り払うという意味も考えましたが、あそこは単純に、3人の役者そのものが立っているのかも知れない。

役を印象付ける「アイテム」を退場させて「中の人」を登場させる。

それぞれ2役を演じた「髙木雄也」、「中山優馬」、「髙地優吾」という役者。散りばめられた要素を当てがわれた役を演じたことでその要素を役者が取り込み、その役者が揃ったことで物語は完全体になって、幕を下ろす。

何度も言いますがこのメタ視点の感想は色々考えてたどり着いた一つの考えなので、ソースも何もないです。勝手な想像です。妄想の産物。

 

この時の舞台装置は床の回転装置ですよね?普段はセットの転換に使いますが、今回はセットが無く奥まで解放しているからこその使い方。舞台ならではの演出。

広い世界を自由に駆け回る姿。それまでとは違い明るい世界。孤独に別れを告げた世界、とも言えましょうか?

 

ショータイム

さて、劇が終わるとショータイム。

個人的にグッときてしまったのは、「Mack the Knife」。

たまたま、この時期に、この曲を披露することになったのだろうけど。

この曲を聴くとA.B.C座を思い出してしまう。

初代ジャニーズのあの物語を。

このタイミングでまた聴く事ができてよかった。

 

ショー部分は全身で楽しんでしまったので特に感想という感想もないのだが、非常に昭和歌謡の香りの強いショータイムだったな!と。

でもそっちの方が映える。

私は好きなショーでした。

 

10/28追記

星の王子さま」とは大きく異なり、ショータイムは曲の盛り上がりに合わせて、声質やビブラートのかけ具合、声量変えてた。完全に「大人」の世界。ある1人の一生を歌うから曲が進むのにあわせてだんだん表現が大きくなっていってたかも、しれない。「死んじまった」という歌詞のところの盛り上がりは素晴らしい。あのような響く声が出せる人だと知れただけでチケット代からお釣りが来た。

 

 

さいごに

あらすじだけ読むとハテナマークしか出てこなかったけど、私にはとっても合っていた舞台で、心の底から今回生で見る事ができて良かったと思っています。

この舞台に出会わせてくれた髙地さんに感謝です。

 

10/15追記

パンフレットを見ると、「孤独」「希望」と言ったワードが頻出していた。

確かにセリフでも、人は孤独、といった内容が3本通して出てきた。

1本目と2本目は孤独になって終わるが、3本目は孤独だったものが孤独でなくなり物語は終わります。

コロナ禍を経たから余計そういう「孤独」や「他者との関わり」、「コミュニケーション」、と言ったものに再び目を向けられ始めた現代社会。

そういう今だから、「もう一度、人と顔を合わせて話してみませんか?」と言う問いかけをするような、そんな舞台だったと思います。

 

星空の中のシーンは3つのお話が交わる銀河系の1つにも見えて。実際に両脇壁面の上部に外から銀河系の照明が投影されていたような?ここのシーンかは忘れてしまいましたが。

だから、あのシーンの3人は、3人に見えて6人なのかもしれません。

飛行士とウォルター、どちらも友が離れていったもの。

ジムと痩せ細った男、友から離れたものと人に近づいていったもの。

王子と悩む男、友から離れたものと、人が近づいてきたもの。

 

友が離れていったものを演じた髙木さんが飛び込んでくるのも、離れたからこそこちらから近づく、ということ?なんてね。

 

髙地さんの役ってどっちも「人ならざるもの」の関わりが深いですね。

王子は地球人じゃない以上、宇宙人だし。

悩む男は幽霊や妖怪に付き纏われている。

3人の中では「この世」の要素が1番薄いので、1番こどもに近い存在でもある。

さて、日本的な考えだと、7歳まではこどもは神様からの預かりもの。まだ穢れのない時期で「あの世」の所属なんだとか。

それなら王子が神様から「飛行士を助けてやって」という声を聞いた、と言うのも頷けるような。

思考は飛躍しすぎてきましたが、そんな考え方もできて、非常に行間のある舞台でもありました。

 

以下はTwitterに先に上げていた箇条書きの感想の再録プラス追記。

・雄也あんたが一等賞。パンフレット読んだらめちゃくちゃ歌をしごかれたって書いてあったけど、そんなの気が付かないくらい歌がうますぎてびっくりした。1番最初のセリフでぐわっ!と舞台の世界観に引き込まれた。本当にすごい。
優馬さんってピアノ弾くんです?!
・ハンチングゆご最高!!!あの役の衣装がこの舞台の中で1番好きなので我ながら好みがぶれないと思った。
・ショータイムのタバコ演出、ちょーかっこいい!!!でも私は別の点(事前にホームページとかに注釈なかったこと)で大笑い。これの元ネタはカトシゲ舞台であるのでフォロワーにしか通じない小ネタです。ごめんね。
アメリカの馬鹿馬鹿しい内容のミュージカルやろうよ!増田さんのハウトゥーに続いてほしい!!!と2本目見て思った。

・髙地優吾さんもっと場数踏もう!!!経験がものを言うってのもあるんだけど、もっと髙地さんの舞台を観たいというのもある。こっから彼の成長期見ていける未来は最高ですね!
・雄也はなんであんなに声響いてるんですか!?セリフの声質も良いしこれからガンガンミュージカルやるべき逸材だと思います!!!既にやっていたらすみません。
・ショータイムで並ぶたびに3人の肩幅の違いで笑ってしまった。しっかりしっかりひょろい。
・カテコの3人のお手振りの方向性の違いでまた笑った。雄也は控えめ。髙地さん、舞台から指差しするんじゃないよ(笑)コンサートみたいで笑っちゃったじゃん!!!

 

10/18追記

前回よりもしっかりと役が自分の中に染み込んでいて、髙地優吾を感じる"余裕"はほぼなかったです。髙地さんも当たり前にもやること吸収するタイプの人間だとわたくしが自覚しましたので、今後も媒体・種類問わず色んな経験をしてほしいと思っております。というか昨年出た「夏の夜の夢」、デビューしてて外部初でそんな有名どころに出るのって稀では?しかも主役級じゃない。今回も見てて、なんとなくだが、よく出てくるけど主役級じゃないポジションが非常に似合う直感がありました。なんなんだろうか。良くも悪くも非常に「アイドルらしい」「人ならざるもの感」のオーラを持ちつつ、一方で、「人間らしい」「自然体」のオーラもある。そこの彩度差がはっきり出る人なんだろうか?そういう不思議さがあるからこそ、髙地優吾という人は見ていても興味深く、いつまでも飽きないんだろうなと思っている。

 

なお、この日更新のジャニーズweb「優吾のあしあと」でも、舞台が大好きでもっと鍛えたいという記載があったので安心したのでした。

 

A.B.C-Zのオタクもしているので、地味に舞台を見ている回数が増え続けているのですが、他のグループのオタクって毎年毎年必ず舞台見る機会があるとは限らないよな?と改めて実感したのであります。というかA.B.C-Zが恒例行事のように個人で舞台に出まくっている。しかも外部舞台しかないのか?というレベルで、というのが特殊なのかもしれないが。