はじめに
2024年5月20日放送の「ジョンソン」を見ての記事である。
なお、色んなことに言及しているので多分長い。途中途中に目次を打っているが、最後にまとめる予定なので時間がなければそこを読んでほしい。
「ジョンソン」放送内容
かまいたちを筆頭にした芸人軍と、SixTONESを筆頭にしたアイドル軍が、SASUKEの競技をすこし変化させた4種競技で戦うというもの。
結果としては芸人軍の勝利であった。
が、そこは本筋ではない。
1つ目の競技。
ぐるぐる回転させられた後に助走をつけて8段の跳び箱を飛ぶもの。
2つ目。
「ロシアンルーレット爆裂ガンタッチ」。爆発するかもしれないバレーボールをキャッチするために落下点へ突っ込んでいく。文字にすると一番説明しにくい。
3つ目。
鼻フックで軽トラを引くもの。
4つ目。
ぬるぬるビーチフラッグ対決。
番組への既視感
そもそも「ジョンソン」は「リンカーン」の後継番組として始まった。なので、芸人が全力で体を張ることになる。
さらに「TBS芸人バラエティあるある」の、良くも悪くも「ギリギリを攻める」が遺憾無く発揮される番組である、と私は分析している。
さて、今回の企画は既視感がある。
2015〜16年に特番として放送された、「ゼウス」という番組をご存じだろうか。
こちらも芸人軍vsジャニーズ軍(当時)として、SASUKEの競技を模した競技で戦う番組であった。
こちらは色々と大荒れし、その結果かはわからないが、第三弾が最後になっている。
あれから7年近くたっているので、もしかするとそれを頭の片隅においての企画なのかもしれない。それはスタッフに聞かねばわからぬ。
番組内容
私はTwitterで実況ツイートを見ながら見ていたのだが、一番荒れたのが3つ目の鼻フックで軽トラを引く競技だった。
今回アイドル軍でエントリーしていた中で、この競技に出たのは4人。
尚且つデビューしていて年長者、SixTONESの3人とTravisJapanの中村海人だった。
鼻フックというのは芸人の体をはった芸でお馴染みであるが、昨今は目にする機会は減った。
多分、見てるこっちも痛々しく感じやすいというデメリットが騒がれるようになって、時代に合わないと淘汰されつつあるのだと思う。
さて、軽トラは650トンの重さがある。運転席に人が乗っており、おそらくギアがニュートラルに入っていて、一度動けば惰性で動きやすいとはいえ、鼻にしか引っかかっていないフックとロープで引っ張るのは無茶苦茶である。
それでも芸人もアイドルもがんばる。しかし、3分という制限時間内にゴールまでたどり着いたのは2人だった。そもそも2人辿り着けているのもおかしい。終わった後は芸人もアイドルも関係なく涙目になっており、鼻の中の粘膜の心配をしてしまった。
さて、スタッフがきちんと検証してOKが出たのか?と聞きたくなる内容であった。
Twitterで見かけた意見
意見は2つ。
あんな時代遅れの演出なんて信じられない、といった系統のもの。
もう一つは、番組を批判することで担当・推しの頑張りを無下にするのでは、というもの。
私の意見
私の意見はこうだ。
- 番組の内容は時代遅れだと思う。
- しかし、番組批判は必ずしも担当・推しの頑張りまでも否定するものではない。
1つ目の意見について
1つ目のぐるぐる回された後に跳び箱を飛ぶという競技から危険性が高い。
人によって三半規管の強さは異なる。
実際、瑞稀のようにいくら回っても大丈夫だった人もいれば、即ダメになった濱家のような人もいる。
そして目が回ったまま跳び箱を飛ぼうとして、目測を誤ったら?
跳び箱に激突して流血する可能性もある。
歯を折る可能性もある。
アイドルも芸人もその見た目から商品価値がある。芸人だから芸だけ面白ければよいという時代ではなくなってきている。
次に問題の3つ目の競技について。
一言で言えば「馬鹿馬鹿しい」競技である。
無茶難題かつ、競技者が痛い思いをしてまでやることなのか。3分間泣きながら痛みに耐えて引っ張り続けなければならないのか。
色々とひっかかるものが出てきて、素直に面白いと受け取れない時点で、クリエイターとしてはどうなんだろうか。
さて、今回の番組を見てそこまで感じなかった人もいると思う。2種目までは私も比較的そうだった。火薬危ない!というツイートも流れていたが、流石にそこはプロだし、と見ていた。
だから、「そこまで騒ぐこと?」と今も思う人もいるだろう。それはそれで、自分の意見として、大切にして欲しい。わかること、わからないこと、納得できないこと、色々な意見があることが、当たり前。それを理解できないから自分がダメだとか、理解できないあの人がダメだ、という話ではない。
様々な意見があることを「分かって」、そういうこともあるんだな、と知ることが大切なのだと思う。他人とその人の意見を攻撃するのだけはやめましょう。ましてや、インターネット越しに知っている人に噛みついてもいいことないよ。その人の一面だけを知ってるに過ぎないのに。はっきり言って時間の無駄だ。
根本的なところを言ってしまうと、芸人とアイドルというわかりやすい二項対立も時代遅れだと言えなくもないのだ。なぜその業種が対立するのか?と思う。別にどっちが優れているかとかはどうでもいい。
それぞれの職種としてのプライドというのはあるかもしれないが。
2つ目の意見について
次に、番組批判が担当や推しの頑張りの否定になるか?ということ。
答えはノーだ。
番組批判と本人たちの頑張りを一緒に捉えてしまうからこうなる。
本人たちは、番組制作側が求めるものに答えて、よく頑張りました。がんばって番組を面白くしようとして、アイドル芸人関係なくお仕事していました。特に4種目の決勝が始まる前に、芸人軍とアイドル軍で揉み合いの喧嘩になりそうな流れがあったが、「ヘルメットしてないからやめよう」となり、結局やらなかった。
本人たちも時代に合わせてアップデートされていることが伺えるシーンだった。なお、競技以外の絡みで怪我しそうだなと心配するシーンはなかった。
決められた範囲内でやれることをやった。それだけのこと。
よく、アイドルのファンは過保護だから騒いで放送局に迷惑をかける、という言説もこういう時に流れるが、それで何が悪いのか?
人が怪我をしたり、死んでからでは遅いのである。
ましてや今回は鼻。中の粘膜が傷つきそうだし、うっかり鼻の骨が折れたなんてことがあったらどうするのか。
人は何か起こらないと学ばないが、何かが起こってからでは遅い。
実際、テレビ番組の収録で死亡事故というのは発生している。
「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」という番組が90年代に放送されていたが、この番組は収録中に出演者の死亡事故を起こして打ち切りとなった。
さて、そんな目くじら立ててテレビが面白くなくなるじゃないか、という人もいるだろう。
では聞きたい。こういう企画が面白ければ、他の番組でもこう過激だったり、ギリギリを攻めている企画がどんどん放送されてもおかしくない。でも、そういう番組はどれだけ放送されているだろうか?年々そういう番組は減っていないだろうか。
「テレビだから何をやってもいい」わけではない。
そもそもどんな場でも何をやってもいいわけではないのだから。
この話を始めると、一人一人が持つ人権の話に触れざるを得ない。
人権とは
基本的人権の尊重とは、人が生まれながらにして持つ権利を尊重すること。憲法第11条では基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として国民に与えられると宣言している。
明文化されなくても、すべての人が生まれながらにして持っている権利のこと。
日本人はこの人権感覚が薄いと言われがちである。それは集団主義や、同調を求めがちな社会の影響が大きいと思う。
集団主義の参考記事
東アジアではなぜ「身内びいき」がはびこるのか 「集団主義」と「普遍主義」における社会的な輪 | 読書 | 東洋経済オンライン
同調を求めがち、というのは災害の多いこの国で生き残るために得た、子孫を残すための生き方である。生き残るために手に入れたものなのだから、合理的なものだが、現代においては時に邪魔をすることもある。
最近のLGBTQの話も元を辿ればこの基本的人権に行き着く。
生まれながらにして持つ権利を主張する。それは当たり前のことだが、それを他者に押し付けるようなものになってはいけないのだ。
なぜなら、すべての人が自由や基本的人権を持っているから。他人が持つ自由や基本的人権を害するような権利の使い方をしてはならない。
日本国憲法第12条の後半では「国民は,これを濫用(らんよう)してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とされている。まさにこのことである。
中学や高校の社会科を復習しているかのような話になってしまったが、趣味にもこういう話はつきものである。
我々自身が社会に生きているし、趣味である、担当や推しを応援する活動も、社会活動、経済活動であるから。また、その担当や推し、それを生み出すクリエイターたちも一人の人間で、基本的人権を持つからである。
「法律とか憲法とか社会とか、難しいことは置いといて、趣味だけ楽しめればいいよ」というファンも多かろう。
しかし、担当や推しを応援するために使うお金はどこから出ているのだろうか?
労働するにも法律は決まっている。
賃金や価格は世の中の経済状況で様変わりする。デフレとインフレ、円安と円高。
そういえば今年のヤマザキ春のパン祭りの皿は、最初の頃は海上航路の治安悪化と運河が使えない問題で入荷が遅れていた。
アイドル界隈でお馴染みのペンライトもこの3年ほどでグッと値上がりしたが、物価上昇の煽りを受けた形だろう。
……と、まあ少しでも日常的にニュース番組や新聞を斜め読みしていると、我々の日常生活と社会経済活動は繋がっている、というのがわかる。その日常生活に「趣味」が入る以上、趣味と社会経済活動は切っても切れないのである。
文化と政治
「アイドルカルチャー」はすっかりお馴染みのものになっている。
芸能と政治というものは昔から切っても切れないものである。
権力や金を持つ余裕のあるところで芸は発展するからである。
そして芸は多くの人に影響を与える。
だからこそ戦争中にはプロパガンダとして使われた。軍への慰問も行っていた。
さて、我々がもつ自由と基本的人権を行使できるのは常ではない。
平和な時代でしか、それは行使できないと思っていいだろう。
なぜなら戦争が始まればそんな余裕は無くなるからである。
そして、趣味に夢中になっていられる日々も容易く失われるのだろう。
非常に遠回りをしてきたが、結局のところ我々の日常と社会と世界と政治は見えないようでとても近いところで繋がっている。
だから、政治や社会で起こっていることに無関心なのはやめた方がいいのだ。
多少なりとも興味を持ってほしい。そうしないと、自分の平凡な日常が急に変わるかもしれない。そんな大袈裟な、と言うかもしれないが、人は忘れるし、歴史を繰り返す生き物だ。
前の戦争が終わって70年。戦争の生き残りも少なくなり、戦争の恐ろしさを知らない・想像できない人々が増えてしまった。
第一次世界大戦で終わりだと思っていたのに結局第二次世界大戦を引き起こしてしまっているし、現在もロシアによるウクライナ侵攻が続いている以上、人は愚かで何度も同じことをやらかすのだ。
そんなの日本史を見ていても同じである。現在の近代国家なぞ、明治以降のことでたったの150年しか続いていない。
私は大学で日本史を学び、博物館学もかじったので、どちらかと言うと文化財を例に話をしてしまうが、戦争で無くなってしまった文化財はたくさんある。でも、当時の人が残そうと、東京にあった文化財を地方に移したりして、結果残ったものもある。東京帝室博物館の収蔵品が福島県翁島村(現在の猪苗代町)の高松宮御別邸へ運ばれたり、奈良帝室博物館への法隆寺献納宝物の疎開などが行われた。詳しくは下記ブログへ。
最後はだいぶ遠いところまで来てしまったが、たかだかアイドル、されどアイドル。
アイドルを応援しているだけでここまで色々な知識や文化、考え方を知るきっかけを得られるのだ。
もし、興味が芽生えたのなら、まずは社会の資料集を読んでみるといい。図書館のレファレンスを使うのも手だ。わからない語彙は手元の端末でお調べください。
まことに惜しいが、大人になってからの方が理解できたりするのが学校で学んだ教科だったり。そんなことばかり。
まとめ
- 2024.05.24放送のジョンソンの内容は時代遅れな体の張り方だった。怪我の危険性を視聴者が感じ取るような演出は危ういのでやめて欲しい。
- とはいえ、スタッフの要求通りにバラエティを全うした芸人とアイドルたちは素晴らしかった。また別の場で輝く姿を見たい。
- ファンの数だけ意見があるので、それを否定してはいけない。自分と違うのは違う人間なのだから当たり前。そういう意見もある、ということを理解することではじめて多様性の尊重になるのでは?
- 自分とは違う人に意見を押し付けがちになるのは、自分と他人の境界が曖昧、基本的人権の意識が薄いせいではないか。自由と基本的人権は全ての人が持つもの。とはいえ、他人のもつ自由と基本的人権を害してはいけないので、「公共の福祉」という考え方がある。
- 趣味と社会、文化と政治は繋がっている。何故なら全て我々の生活の一部であるから。好きなことだけを見て、その他に無関心でいるのは危険である。自分の生活が急に変化してもおかしく無い。
- 人は結構愚か。そして二度あることは三度あるし、歴史は繰り返す。過去に学ぶものは多い。
- 社会から目を逸らすことは、回り回って貴方の好きなものを苦しめるかもしれない、ということ。