前の部署では珍しくもなかった土日出勤。
今のところでは2〜3ヶ月に1回。
しかも両日潰れるなんてこともない。
お役場にも色んな場所がある。
そんな休日出勤を終えて叔父の家に行った。
叔父の一家は祖母と同居していた。
祖母は現在施設に入っている。
数年前に脳梗塞で倒れて一命を取り留めたものの、麻痺が残り寝たきりで話すこともできなくなった。
倒れる少し前に当時の自分が担当したイベントに一緒に行ったのが、元気な祖母との最後のお出かけになったのは色々複雑な気持ちになった。
ちょうどコロナ禍に入院となってしまい、タブレット越しに面会に行った。
ようやく対面で会えるようになり、変わり果てた祖母の姿に「老い」を見た。
つん、と鼻をつく、ああいう施設に特有の香りも、余計そう思わせたのかもしれない。
祖母の旅の終わりは近づいていた。
体の調子から、終末期を考えたケアになっていくという。
大学四年の春に父方の祖父が無くなり、炉に入れるところを見て、その後骨を拾った。
その時はあんまり死んだという感覚はなく、骨を見た時にようやく「あ、いなくなったんだ」と喪失感がやってきた。
性格が合わないし、末期は認知症が入って散々な目にあったから祖父のことは好きではなかった。
血は繋がっているとはいえ、泣くほどのことはなかった。
でも、今回は終わりに近づいていく姿を確実に見続けていく。
その時が来ても実感がわかないんだろうけど、忘れた頃に多分泣いてるんだろうなと思う。
人が死ぬたびに家族とか結婚ということも考えるけど、結局は答えは出ないまま、日々が過ぎていく。