※珍しいですが敬称略で進めます。
髙地担としての自覚がある。
もちろん6人全員好きである、という前提条件での話。
次点で勝手に思い入れがあるのが、田中樹である。
というのも、ここまでSixTONESにハマるきっかけを、根本的なきっかけは彼が絡んでいるからである。
元を辿れば「SixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャル」を聞いて、番組が好きになったのが先。
「SixTONESってラジオ上手いな」「オールナイトニッポンというブランドの中でここまで出来るなら絶対彼らの作る作品は面白いだろう」という謎の信頼があった。
そこから、AぇGroup!の佐野晶哉を通じて、「ハマダ歌謡祭」を見始めた。
ここの詳細は下記noteをご覧ください。
髙地担爆誕記録後編〜青春が遅れてやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!〜|カイン
「ハマダ歌謡祭」では、思ったよりも田中樹の歌が上手いことがわかった。
あと想像以上に本人が世の中の流行歌に疎いことがわかった。疎く見せてるのか?と疑うレベルだったが、ほんとに分かんない(というか知らない)と思う回数が増えた。
というのも、彼と私は同じ95年生まれの学年である。95lineというやつである。
早生まれからしたら、4〜5月生まれがやたら羨ましい。6月生まれ以降はあんまりよくわからない。誕生日順に出席番号が振られる地域だったので、6月生まれの人はどのあたりだったっけ。男子が先だったから、6〜10番くらいだったかもしれない。そんなこと、今日の話ではどうでもいいのだが。
確かにこの世代はORANGE RANGEとKAT-TUNとGReeeeNで育ったよな、と唐突に思い出した。誰かが持ってきたD-51の「NO MORE CRY」のCDが、小学校の教室で流れていた記憶が鮮明に蘇る。
場所も地域も違うが、あの頃は与えられたカルチャーはテレビが主軸だった。
そんな「メジャー」にはてなマークを浮かべている彼の姿を見つつ、ラジオで「コラショ」の話題で盛り上がっていたことも同時で思い出した。
小学一年生に上がる前からコラショによる怒涛の勧誘攻撃を、大体の人間は受けていると思う。そして、母親に「ダメ!」と言われて憧れだけを抱く。
同級生に進研ゼミをやっていて、もれなくコラショの時計を持っていたりすると、憧れの眼差しを向けていた。実際、友人が勝ち組でコラショを勝ち取っていたので、友人宅に行くたびに「すげ〜」と思っていた。
そういう、つかず離れず、絶妙な距離で「同じ時間を生きている」感覚を与えてくる存在は初めてだった。
次に出会ったのが、田中樹が演じたドラマ「刑事7人」の井手だった。
あの役をきっかけに、髙地優吾がかつて演じた「特捜9」の白羽を知り、髙地担として面白いように様子がおかしくなって行くのだが、その話の詳細も先述のnoteにある。
と、まあ、担当でもないわりに、最初は何故か田中樹のことばかり考える時間が多かった。
その矢先に、たまたま見に行った7men侍のTDC公演に田中樹が見学に来ていた。
完全にジュニア担モードで行っていたので慌てふためいた。
しかも彼のいた席の反対側で、比較的彼の顔が正面で見られるところだった。
「SixTONESの田中樹」ではない「対ジュニア兼外向きの田中樹」を見てしまいとにかく動揺した。
予想通り座席のオタクには強く当たる。
そりゃ見ず知らずの人間に対する扱いと、知ってる人間(ここでは侍)に対する扱いで、切り分けをきちんとして当たり前なのだが。
そういうところがきちんとしていて「社会人としての田中樹」に惚れた。
しかし、その後舞台のせいで見事に髙地担として拍車がかかり、すっかり田中樹のことを忘れていくのだが。
彼が歳をとるタイミング。
6月。
ちょうどその半年後くらいに、私も同じ歳になる。
半年遅れでじわじわと時間差攻撃がくる。
三十路という、いくつかある人生の節目とされるタイミングも。
「そろそろ来ますよ〜」ということを、彼の誕生日を認識すると、もれなく実感せざるを得ないのだ。
これはただの一人の人間が、あるアイドルに対しての思い入れに過ぎない。
性別も、これまでの歩んだ歴史も、これから進む道も、何もかも違うし、交わることはない。
それでも、田中樹のことは同じ「平成7年度生まれ」として、謎の連帯感がある。
これが同い年の松村北斗に対して無いのかというと嘘になるが、個人として見ると、これまで書いてきた経験のせいで田中樹の方に軍配が上がっている。
人生何があるかわからないとはいえ、想像しうる人生を思い描けば、逝くのはそっちが先かこっちが先かという話だ。
アイドルを辞めたとて、人生を辞める時は数年の差があれどだいたい同じようなもんになっていくと、今のところは思う。
同世代、同学年とはそういうことかとようやく実感している。
むしろ、そこまで見届けられたら最高に幸せで不幸せだなと思う。
さて。
そりゃあ、彼のことが一番好きなファンたちには勝てるところなど全くない。
明らかに見ているところや場数が違う。
それでも勝手に田中樹が心身共に健やかに年齢を重ねていくことを地味に毎年祝っている。
「平成7年度生まれ」という、たまたまその期間に産まれただけの人間たちが。
キラキラと輝く社会を何よりも望んでいるのは己であった。
今年もこの日を迎えられたことに祝福を。
彼と彼を愛する全ての人に、幸あれ。
#HappyBirthdayJuri