おやハニ部

今はハニワよりも土偶にハマっている。

Endless SHOCK 観劇記録メモ

Endless SHOCKという物語について。

ところどころに「シェイクスピア」の要素がある。

 

「次回作はシェイクスピアをやろうと思っている」というコウイチの台詞。

二幕のショウリの夢のシーンで行われるのは、台詞が特徴的なことと世界観からして、おそらくシェイクスピアのお話。古臭い言い回し、というか舞台ならではの比喩表現が多い。古典的という台詞なのだ。

シェイクスピアも悲劇、恋、復讐といった要素がスパイスのように物語に溶けている。このEndless SHOCKも同様だ。

ただ、そのシェイクスピアにも元ネタはあって、ヨーロッパの古典を突き詰めると、ギリシア文学、古代ローマギリシア悲劇まで遡る。

過去の名作をリスペクトして取り入れる。そして新たなものを生み出す。どこのジャンルでもお馴染みのことが本作でも行われている。

物語の再生産である。

 

そこに、ウエストサイドストーリーが加わる。この物語も赤と青の対比。

コウイチの赤、ショウリの青。そして、リカの黄色。

街で二つのグループが対立して踊るシーンはまさにウエストサイドストーリーだ。

 

さらに、マイケル・ジャクソンのエッセンスも加わる。SOLITARYDead or aliveはまさにそうじゃん?

 

……と、非常に「ジャニーズカルチャー」の王道をひた走る作品である。

 

今取り上げた、シェイクスピア、ウエストサイドストーリー、マイケル・ジャクソンは、「ジャニーズっぽい」コンテンツを見続けてると出くわす既視感の根源である。

なので、この三つに対する知識と理解度の違いで、どこまで面白く感じるかの温度差が変わってくる。

現状、若いファンがそれに気がついて辿り着く可能性はあまりにもゼロに近い。というのも一般教養から三者が消えつつあるから……。A.B.C-Z(というかABC座)とEndless SHOCKはそれに触れられる貴重な機会だったが、今後はその道も消えていくのだろう……。

ちなみに筆者はDREAM BOYSだけはまだ観劇できていないので、その作品にこの「ジャニーズカルチャー」がどこまであるかは知らない。

 

さて話をEndless SHOCKに戻そう。

 

話として解体すると結構シンプルでは?

まるで「父親殺し」のような話だった。

タブーを犯す、という意味ではあっているかも。

嫉妬して、ライバルを殺して、罪の意識に囚われる。

残されたものはどのように未来に向かうのか?

 

そんな話。

 

「SHOW MUST GO ON」の先に何があるのか?と問われる。

普遍的に言えば「人生の先になにがあるのか?」ということに言い換えられよう。

リカはコウイチからの卒業。

つまり、依存を脱する。

コウイチは孤独からの卒業。

つまり、みんながいなければできないことに気がつく。

ショウリは「子ども」からの卒業。

つまり、反省して大人になる。

 

まあ、他にもたくさんあるけど。わかりやすいところだとこんな感じだろうか。

 

自律、協力、成長。

 

強い輝きは周りを照らすとともに、同時に強い影を近くにつくる。

 

それが強く分かる話だった。

 

 

通算して、Endless SHOCKとEndless SHOCK eternalを一回ずつ。

たまたまだが、どっちも二階席の最後列近くの上手から見た。

 

話を追うならeternalの方がわかりやすい。

 

eternalを見て、Endless SHOCKを見て、という順番で観劇した。

この順番だと、eternalを作るにあたって本編のどこをどうカットしたのか、そのシーンはなぜカットされたのか、というのが非常によく理解できた。

正直どちらかだけを見て満足するのは勿体無い。

可能ならどっちも見た方がいい。

 

eternalを見たのは2022年の春のこと。

二年越しにこういう記事を書くことになるとは想像もしなかったし、事務所が無くなるなんて……は言わずもがなである。