はじめに
今年も髙地優吾さんに舞台の仕事が来てとっても嬉しい!!!
何故なら!舞台の彼を見てより「アイドル:髙地優吾」が大好きになったので。
それは昨年ひたすらに書いたのでそっちを読んでいただいて。
しかもここ数年好きな箱になっている新国立劇場中劇場じゃないか!!!
発表された瞬間「絶対行くぞ!しゃあ!!!」と気合いを入れた。
東京公演は蓋開けたら最初の土日2公演のチケットが手元に来たので、時間が経つことによる変化がないという、舞台の醍醐味の一つを欠いた感想になってしまう。それだけが今回のチケット手配ミスだった。反省。
相変わらず髙地優吾に対しては感覚がおかしくなってるので、大阪公演にも足を運ぶのだが、そういう時間経過による変化はそこで確認したい。
ということで、2024年10月5日(土)夜公演、10月6日(日)昼公演を見ての感想である。
10月5日は期間中初の昼夜2回公演日であった。
もちろんネタバレしてます。
物語について
バディが主演というクレジットは「むむ?」という感じ。どっちかというとW主演感の強い話の書かれ方である。しかし、最後にステージに残るのはバディ。ああいうオチになるなら、確かにバディが主役なのだ。何故なら、副題に「ボクの独立宣言」とつくから。この副題があるかないかで結構変わると思う。つまり、兄弟が共有していたストーリーが、最終的にはバディ一人の物語になるのだ。
そうなるとこの物語の主役は、バディ・ベーカーかもしれない。
そう思いつつ、「バディ・ベーカー」という人間の書かれ方が薄い気もする。セリフにもあるが、「兄貴のコピー」なのである。
しかし、この物語がバディ・ベーカーが独立宣言をして、独立するスタート地点に立つための物語と考えれば、ここから「バディ・ベーカー」の全てが始まるので、別に彼という人間、それ自身の中身の描写が薄くても問題ない。今回の話には関係ないからである。
時代背景
この作品は1961年発表。
そして今回のセットや衣装を見るにあたり、1950〜60年代のアメリカ、ニューヨークなんだろうと予想する。
わかりやすいものだと、モンドリアンドレスと、セットに置かれていたポップアート。
セリフに「ヒッピー」という単語もあるが、それもその時代に流行っていた。
日本だと1970年代ごろを想起させるかもしれないが、大概遅れて流行りは輸入されるので、それくらいの時差は起こる。
ちなみに、1964年が東京オリンピック。同年開業の東海道新幹線が今年60周年を迎えて色々記念事業をしているが、それくらい昔の話。
1970年は大阪万博の年である。
そういう時代の話と頭に入れておくと、一昔前の典型的な親子の話というのはわかるだろう。
しかも当時の通信手段は家の電話のみ。家電ってわかる?舞台ではダイヤル式の電話が使われていた。
そういう時代だからこそ生じる物理的ディスコミュニケーションから始まる物語である。
むしろそれが2024年に上演されるのが新鮮に感じられるのだろうか?
古い作品を今やると違和感があるというのは、どの作品にも共通する。なのでそこに引っかかる人は今回の話はモヤモヤするだろうなと思った。
その他
2幕以降のバディの振る舞い。特にドアの開閉が綺麗。あれを見てドアマンというかホテルマンの役が似合いそうと思った。
ソファにひらりと足を翻して座るシーンとか、VVSをちょっと思い出したり。長い足を軽々と見せつけるように座る姿がとても好き。
あとはちゃんと酒を飲むシーンで飲み物飲んでて驚き。演目によっては飲んだら飲まなかったり色々ある。
今作はセット転換のために暗くなるシーンがない。一つのセットで人が入れ替わり立ち替わり出入りすることで話が進むのだ。だから集中力を仕切り直す区切りがない。おかげでいつも以上にセリフや小道具等々細かいところを見たり記憶するのに疲れた。
「俳優:髙地優吾」に対して思ったこと
今回の話は話が始まって途中から出てくる。
でも最初からその場にいたかのようにするっと溶け込んでる。
そして今回は声色をコロコロ変えざるを得ない役なので、喉を潰さない発声ができていれば嬉しいのですが流石にそこまでわからない。多分できてると思う。
あとやっぱり舞台が好きと言っているのもあり、生き生きと場に立っている感じが伝わってきた。そして「生」という予定調和がないところで生まれるものを楽しむタイプなんだと理解している。だから舞台に向いてるのだ。
舞台の演技は映像に比べると大袈裟になる。それは比較的有名な話。一方で、バラエティで鍛えられた反応は大袈裟路線になる、とも思っている。つまり、髙地さんが舞台に向かないわけがない。
特にコメディはでっかく!大袈裟に!の王道だと思う。合わないわけがないのだ。
個人的にはコメディができたらなんでもできると思っているので、来年も再来年もその先も髙地さんには舞台に立っていて欲しい。
でも髙地さんって大きな会場というより、自由劇場とかグローブ座とかそれくらいの規模が似合いそうだなと勝手に思っている。
というか、今回の話はそれこそ東京公演の製作クレジットにグローブ座が入っており、キャパ700席程度のグローブ座で本当はやりたかったのだろうか?というこじんまり感も実は感じていた。
演者たちの掛け合いだが、特に2幕はベーカー夫妻役の高岡さんと羽場さんのギアが公演が進むにつれてアドリブを含めどんどん入るともっと熱を帯びるのだと思う。わかりやすく変化がわかるのは2幕の捲し立てるようなところだろう。そこについていけるか、どうバディ・ベーカーが振る舞うかによって、抱く感想が変わるだろうなと思っている。そこは大阪で見られると嬉しい。
箇条書きメモ
- 幕の四角のやつ、完全にモンドリアン。
- 靴下8足が永遠というのに爆笑。
- 軍隊にいたって話のせいか、捕虜とかそういうワードが出てくるのが世界の違いを感じる。
- 途中で持つ本ってなんだろう?聖書じゃないよな?え?わかんないな!
- パパがベーカー兄弟をクビにする件はまさにキリスト教っぽい。
- 大学2年いって軍行ってパパの会社、というのがバディの経歴
- 東海岸で一番のフェイクフルーツの会社。りんご、なし、プラム?というセリフがあるし、最後に透明なぶどうの注文が来る。
- イタリア系エスキモー、日本の歌舞伎みたいに真っ白からの白いコート着て出てくるママというコンボがじわじわくる
- バディのチークを見るたびに、「俺は絶対発色しない色だな」とか思う、そんな私はドがつくブルベ。
- 多分2幕のイエスとノーの台詞は原作だともっと言葉遊びになってそうなあれ。訳したことでちょっとわかりにくいことになってそうなイメージが……。
- 「鉛筆がたくさんある〜!!!」というところは本当に書いているわけではない。紙に鉛筆が触れていなかった。
- 手紙にはDear daddyと書いてある。裏面におそらく署名がある。
- 作家の名前っぽいセリフ!ヘミングウェイじゃなくて、その前に出てくるの!覚えてない。
- クッションの上下入れ替えしてるのが面白い。クッションに顔がつくことはないはずなんですがその意図は何?笑
- 「交通整理しなきゃ」というセリフの伏線?回収。だいぶシーン進んでからある。酒を部屋から取ってくるくだりのところでキッチンからペギーを外に出すシーンで交通整理員のような動きのバディ。こういうのが個人的に大好き。
- パパの会社は蒋介石に売るらしい。ジワる。
- タクシー代35セントってどういう距離なんだろう。
- 実家とアパートが地下鉄で4駅しか離れてないが乗り換えが必要で地下鉄の駅からは6ブロックも歩かなければ辿りつかないアランのアパート。
- ドリアングレイの肖像……。
- 後列だったのでバミリ確認が難しかった。防振でも限界がある。
- ピューリッツァー賞のセリフは、ニール・サイモン自身が受賞していることに関連させてのセリフなんだろうか?
- ストーリーだけ予習してろくに雑誌を読まずに行ったので「これって会話劇か」と途中でなった。会話劇だからなせるあのテンポである。
他にも思い出したことがあれば追加します。